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想いを込めたファンレター

更新日:6月7日

始めに


大好きなお客様が令和6年2月3日15時28分に満23歳で永眠されました。ご家族の今のお気持ちを考えると言葉になりません。謹んでお悔やみ申し上げます。


合掌。


出会ったのは


ブログを書くときは、その方を『お客様』『S様』と表現していますが、今回はいつも呼んでいる『しょうちゃん』と書かせてください。


いつもしょうちゃんの記事を書くときには、投稿する前に情報に間違いがないか、しょうちゃんが不快に思う表現がないかをチェックしてもらっていました。


今回からはしょうちゃんからチェックしてもらえないので、完全に私サイドから見た記事にさせていただきます。


その内容はファンレターになるかもしれません 笑


と、言ってもいつも情報の訂正だけで、私の表現には一切訂正はなかったんですけどね。私の想いを大切にしてくれていた方でした。


その出会いは、しょうちゃんが中学3年生の時。かれこれ8年前になります。


当時、「運動不足解消の場を作ろう。楽しくバスケが出来る会にしよう」と、友人と一緒に社会人のバスケットボールチームを作りました。と、言っても私はホントにヘタなので、ガッツリ、バリバリのチームは無理!ゆるく素人さんでも楽しめる会にしたくて。


しょうちゃんのお父さんとは、私と共に会を立ち上げてくれた友人と共通の友人なんです。


「中学3年生の息子がバスケやりよるけん、受験勉強の息抜きに誘うけん」と言って参加してくれたのが、しょうちゃんとの出会いでした。


その会は月曜日の夜に開催していたので『月バス(ゲツバス)』と言う名称で。


しょうちゃんは、「自分は月バスのこの雰囲気が大好きなんです。未経験さんも経験者さんも、みんながバスケを一緒に楽しんでいる。月バスに参加すると良い気分転換になります。」と話してくれていました。


部活のチームメイトと切磋琢磨しながら現役バリバリの勝負のバスケも好き、未経験者さんと経験者さんが混じってわちゃわちゃ楽しいバスケも好き。


しょうちゃんは、心からバスケを楽しみたい人なんだなと思いました。


病気


見事、希望する進学校に合格したしょうちゃん。勉強とバスケの両立で忙しい日々が始まります。


お父さんから、「祥汰、月バスに参加したいって言っとるとけどね。なかなか時間の取れんとやもんね。」としょうちゃんが日々頑張っている話を聞いていました。


私自身、バスケ中に膝の半月板を損傷、お遊びでもプレーが出来なくなり…。そして末っ子がサッカー部に入りたいと希望してきたので(月・水・金)、月バスの管理を他の方に託しました。


その後、しょうちゃんが高校3年生の高総体前に病気が発覚。


お父さんから「祥汰、左の膝に骨肉腫が見つかって。肉腫の部分を切断することになったけん。」と聞きました。


その当時の私は、言葉が見つからず…


「ビワ葉温灸は色んな症状の方が使っているからさ。しょうちゃんも、もし気が向いたら当ててみたらいいかもしれんね」と、話したのを覚えています。


再会


しょうちゃんが車いすバスケットを始めること、競技用の車いすを購入するために募金を募っていることを、月バスの仲間から聞きました。


友人はしょうちゃんのお父さんと小学校からの友人で、しょうちゃんのことを自分の甥っ子のように大切に想い(もしかしたら息子のように、かも)、応援していました。


しょうちゃんのお父さんも施術に通ってくれているので、施術中にしょうちゃんの車いすバスケットの活躍や、病気の様子を聞いていました。


そして去年の4月。しょうちゃんが22歳の時。


お父さんからビワ葉温灸のおたずねのLINEがきました。


左膝の腫瘍は切断し摘出したものの、肺転移した腫瘍が気管支に転移したと…。気管支に転移すると人工呼吸を装着し、車いすバスケットも出来なくなる。どうにか気管支の腫瘍を食い止めたい、そのためにビワ葉温灸を当ててみたいとの内容でした。


すぐに当てれるようにビワ葉温灸を手配し、当て方などをお父さんに教え、しょうちゃんに当ててもらいました。


お父さんから、「祥汰、めっちゃ気持ち良い、寝てしまいそうで眠気との闘いって言いよるよ」と嬉しいご報告がきました。


しょうちゃんとLINE交換して、当て方の確認、腫瘍の部位の確認などやり取りし、施術に初めて来てくれて、7年ぶりの再会。


しょうちゃんは、「あゆさん、全然かわってない!」と言ってくれて。


「うそだー!笑」


なんてやり取りをしながら、7年間の会えなかった空白の時間はあっと言う間に埋まりました。


宝ものの時間


当店ではビワ葉温灸とともに、『整膚』というお肌に触れ、皮膚を持ち上げる施術を行っています。直接お客様のお肌に触れるので、その方の情報が私の指にダイレクトに伝わります。


そしてお肌の情報が整うと、脳が解放され、鍵をかけていた深層の記憶や感情まで出てくる時があります。


しょうちゃんとは、施術中、お互い『感謝』の気持ちしか出てこなくて。


話をしていると私の中にある優しい涙が流れ、「ちょ、ティッシュティッシュ。鼻水止まらんし」となったりもしばしば…。そんな時も優しく笑ってくれました。


しょうちゃんは、


「病気になったから気付けたことがたくさんあります。元気なままだったら今の自分はないです」


「病気になったから、家族との絆が深まりました。元気だったらもしかしたら県外の大学に進学して…年に数回しか家族との時間を過ごせなかったと思う」


「うちの家族は本当に仲が良くて。家族と一緒にたくさん色んなところに行ったり経験しています」


「お母さんの作るご飯、まじウマいんです」


「最近、妹がさらに可愛くて。自分、シスコンだと思います」


「お父さん、本当に仕事が好きで楽しいんでしょうね。そうじゃないとあそこまでできないですよ」


などなど、公に書ける範囲ですが、常に感謝の言葉を伝えてくれていました。


そんなしょうちゃんが、


「正直、手術した当時は元気な時の自分を知っている人に会いたくなかったんです。ここまで気持ちを強く持つまでには時間がかかって…。でも、もっと早くにあゆさんのところに来てビワ葉温灸を当てていれば良かったと思うんです」と言葉にしてくれて…。


彼の心の声を聴かせてくれました。


「私も7年前は精神的にも未熟すぎたけんさ。整膚もしてなかったし。あの時のお互いで出会っていたら、今のこの繋がりは築けれんやったかもしれん。お互いが成長できてる今やけん、こうやって信頼関係を持って施術出来ていると思う。きっときっと、この、今のタイミングだよ」


と、話をさせてもらいました。


自分を責める


しかし、確実に気管支の腫瘍は成長していきます。しょうちゃんは生まれ持った身体の強さがあり、度重なる抗がん剤治療と手術に耐えれる丈夫さがありました。


それと同時に同じ細胞である腫瘍も強かった…。


腫瘍が大きくなると気管支をふさいで肺が機能できなくなります。気管支の腫瘍を焼く手術を定期的に行うようになりました。


私は腫瘍の大きさを食い止めることが出来ない自分を責めました。「こんなに毎日しょうちゃんはビワ葉温灸を当ててくれているのに…ビワ葉温灸頑張ってよ!」「私が施術を行っても進行は止めれない。施術の効果は本当にあるのか…」と。


自分の無力さに泣くこともありました。


ただ、私は不安な気持ちを持ってしょうちゃんに触れるのは絶対に嫌で。


『愛と希望と、感謝の気持ちで満ち溢れた私の手で、しょうちゃんに触れたい』


これが私の信念でした。


しょうちゃんは、それを知ってかどうか分からないけれど、


「腫瘍のまわりの硬い壁みたいなのが、施術すると溶けていく感じがするんです」


「自分の身体の状態、すべて分かってくれて安心します」


「動きが軽っ」


と、施術のたびに感想を話してくれました。


その経験を重ねるごとに、


「私は神様じゃない。だから病気を治すことはできない。けど、しょうちゃんの治る力、生きる力をサポートすることは出来る。私は目の前のしょうちゃんが笑顔になれるように、ただただそこだけに集中するだけだ」


と、目の前のしょうちゃんにとことん向き合い施術させていただくことを決意しました。


咳が止まらなくて苦しい時は、


「大丈夫大丈夫、そばにいるからね」


と、想いを込めて手を当て、


気管支の手術あと、同室の患者さんの寝言がうるさくて寝不足な時は、


「お疲れさま。この時間はゆっくりやすんでね」と安らぎの手を。


その時のしょうちゃんの心と身体の状態に合わせて寄り添わせてもらいました。



さくら整体に施術に来てくれた回数はちょうど50回で。1回の時間は約90分。合計すると4500分。


4500分のすべてを、『愛と希望と、感謝の心』を持って触れさせていただき、これは私にとって誇りです。


言葉で伝える


しょうちゃんは、凄い人なんです。


本当に。出会った人は誰しもそう言います。


大きな優しさを土台に、強さを持っている。控えめでシャイで、決して自分からグイグイ行く人ではないのに、そのお人柄で出会った人を虜にし大ファンにしてします。


もちろん私もそのひとりで、よくしょうちゃんには、「私の推しはしょうちゃんやけんね」と話をしていました。


彼の素晴らしいところは、言葉で伝えてくれること。


飾った当たり障りのない言葉は、彼の口から聞いたことがありません。


土台に感謝がある人なので、言葉に愛があります。


素直に感動し、言葉に表現し、伝えてくれます。


そのことが分かっているので、彼の言葉ひとつひとつはまぎれもない真実だと受け取っています。


そのしょうちゃんが、


「人生って長さじゃない、濃さだと思うんです。自分は好きなことに時間を費やし、1日1日を本当に濃厚に生きている。幸せなんです」


と。


喪主のお父さんが葬儀の時に同じことを話されていたので、嬉しく感じました。


そして、


「自分は小児病棟にいて、たくさんの子供たちをみてきました。みんな自分の病気を受け入れ、全身全霊に生きて。そして自分が好きなことを見つけて、それを楽しんでいます。決して病気の子がかわいそうではないんです」


と。


「自分は他の人より短い人生かもしれないけど、濃さでいったら一生分です」


と。


もうこれがしょうちゃんの口から聞けたら十分。


そして、どうかどうか彼を若くで天に召されたかわいそうだなんて思わないでください。こんなにも自分の人生を受け入れ肯定した人にその言葉はふさわしくない。


と、想いを聞いた私はそう思ってしまうのです。


仏さまのようだね


そんな話をしている時に、ふと私が「しょうちゃんは仏さまのようだね」と伝えたことがありました。


「そうですか?」と彼はいつものように笑っていましたけど。


そして2月3日。


当日、本当に偶然が重なり、私はしょうちゃんが旅立つ2時間前までしょうちゃんに触れることができました。


部屋に入った時、肺がほとんど使えない、呼吸もままならない状態なのに、「今、汗が凄くて。着替えた方がいいですか」と気遣いをするんです。


「大丈夫、大丈夫」


と、呼吸ができず栄養がまわらなくなった硬い皮膚を優しく優しく触らせてもらいました。


『どうかどうか安らかに』

『どうぞお守りください』

『大好きだよ、しょうちゃん』


ひたすらそう祈り、目の前のしょうちゃんから目をそらさずに向き合いました。今までの施術と一緒。目の前のしょうちゃんがただただ、楽になるようにと触れました。


しょうちゃんが甘えられる人が傍にいた方が良いので、あとはお父さんに任せ病院をあとにしました。


その後、2時間後にしょうちゃんは息を引き取りました。


お父さんの喪主の言葉で聞きましたが、しょうちゃんの最後の言葉は


「ありがとう」


だったそうです。


身体が熱くて熱くて。


「熱い」


と、しょうちゃんの訴えに、お父さんが


「クーラーの温度ば下げよっかね」


と、リモコン操作した時に、しょうちゃんが


「ありがとう」


と伝えたそうです。


そしてそのあと息を引き取ったそうです。


理性がなくなるぐらいの苦痛なのに、感謝の言葉が出るだなんて…


あっぱれすぎだよ、しょうちゃん。


お通夜で見たしょうちゃんは、びっくりするぐらいの穏やかなお顔で、微笑んでいました。


まるで悟りをひらいた仏様のようで…。


その翌日の告別式ではさらに穏やかなお顔になられていました。



最初に触れた皮膚はパツパツで。色んなものを抱えているようにも感じました。


そして最後にお花を添えた時に触れた皮膚は、すべてのものから解放された、ふわふわの優しい質感でした。


それを感じた時にようやく私は心から安心しました。



魂を磨き上げたのかな


この世は修行と聞きます。たくさんの業を、生まれかわりながらその汚れをきれいに拭き取り磨き上げていく…。


しょうちゃんは、魂をまんまるにピカピカに磨きあげ、もうどこも磨くところがないくらいにきれいに仕上げきったのではないのかな…。


修業は終わっているから、きっと来世の生まれかわりは人間ではなく神様だと思うんです。


しょうちゃんとは最後に「また会おうね」と伝え、うなずいてくれました。


まだまだ魂を磨ききれてない私は、あと30回ぐらいヒトとしての回数を経験しないとしょうちゃんには会えないかも…。


うーん…。30回で大丈夫かな…。


でもしょうちゃんが教えてくれた、


・感謝を忘れない

・信念を持つ

・笑顔でいる

・自分を大切にする

・楽しむ

・自分の言葉で伝える


これらを大切にして生きると、もしかしたらしょうちゃんと会えるのが早くなるかも!?


なんて考えています。


私の一生涯の推しで、人生の師匠。


「ずっと一緒に」と伝えると、気持ち悪がらずにいつものように笑ってくれるかな。


そう信じています。


また会おうね、しょうちゃん!会えるようにがんばるからね。



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